60年前のきょう、1945年7月26日未明、松山市は3時間余りにわたり、B29に焼夷弾を投下され、この空襲によって死者・行方不明者259人。罹災家屋14,300戸など、市内中心部は、焼け野原になりました。
平和への思いを新たに、松山市コミュニティセンターで戦災犠牲者の追悼式が行われました。
追悼式には、戦争で家族を亡くした遺族や、市民など約800人が出席し、はじめに、全員で黙祷を捧げました。
中村市長の式辞に続いて、遺族代表の、夫を戦争で亡くした、本多志げ美さん(94)が「亡くなった尊い生命は、永遠に帰ることはありません。ありし日の面影を偲びながら、平和と自由を願います。心穏やかにおやすみ下さい」と、追悼の言葉を述べられました。
そして平和への思いを新たに、出席者が白菊を献花いたしました。
ロビーでは「平和資料展」が開催されています。
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